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ジャカルタで現金輸送車が襲われる。犯行声明を出したテロリストは仮想通貨を要求し、応えられなければジャカルタに仕掛けた13の爆弾を順番に爆破させていくという。仮想通貨取引に指定されたスタートアップ企業インドダックの若き創設者オスカーとウィリアムは、国家のテロ対策班に捉えられ共謀を疑われ、協力を余儀なくされる。
アンガ監督最新作。大阪アジアン映画祭が呼んできてくれました…!
爆破と銃撃戦で魅せるアクション大作。ビハインドで何度も見たロケットランチャートラック回転、やっぱり凄かった。カーアクションもガンアクションもシラットアクションもできてしまうんだもんなアンガ監督…その上で人々の痛みの咆哮を聞かせ、彼らを決して置き去りにしないという優しい覚悟を見せてくる。直接話を聞いてからこれまで以上に大好きになってしまった。
Percayaという言葉のリフレインが印象的で、様々な切り口がある中で信仰の物語として読むことができると思った。 アロックがやっているのは、信仰を暴力で現実にするということだ。「金という神を拝んでいるだろう?」とアロックがいうように、社会の理不尽は金という神によって正当化され、そしてその神を支えるのは信者である国の暴力だから、アロックにそれをやってはいけないということはできない。アロックは現実をなぞりなおしているにすぎない。 テロがアロック自身の目的を達成するためではなく、オスカーとウィリアムの「世界を変革する計画(だとアロックが思い込んだもの)」を叶えるためのものだったんだ、というところに鳥肌がたった。巻き込まれたのではなくて、計画の一部でもなくて、最初からオスカーとウィリアムがアロックにとっての全てに近い存在だったこと。スルヤ基金に騙されるのと同じようにアロックはインドダックを信じて、その信仰を自分の力で現実に変えた。 テロ組織の中で神は既にアロックになっているので本質的にはアロック“の”目的なんだけれど、アロック自身はそれに気がついていないし、気づくことはできない。オスカーとウィリアムへの信仰が彼をここまで連れてきたから。アロックは神を入れ替えようとしているだけで、それはきっとアロックの限界にもなった。彼はいまの神と同じ手段を選んでしまったから、世界を作り直すことはできない。
テロリストであるにも関わらずインドネシア国旗を常に背負って映っているという指摘を西先生がしていて、アンガ監督はそれを意図したものだと答え、国を滅ぼしたかったのは正しく作り直したかったからだといった。その願いは本物だったと思う。だけどその手段では同じものしか作れない。 だからこの作品にはカタルシスはない。 13番目の爆弾は阻止されるけれどオスカーもウィリアムも、テロ対策班であるカリンですら喜びを浮べない。安堵すら感じられない。映されるオスカーの顔からは「本当にこれでよかったのか」という後悔すら感じられる。 アンガ監督はテロリストたる彼らの手段を否定しながらも、その行為だけにフォーカスしてはいけないと何度も言う。周縁化された彼らにはそれしかなく、受け止めなければならない叫びなのだという。
その、覚悟を持った優しさが好きです。はっきりとエンタメを志向しながらカタルシスを与えなかったこの作品が好きです。 リオデワント、完全に誰の話も通じない状態が最初から最後まで続いていて、演技が凄まじかった。目が合わない。 どうか配給がつきますように。シネリーブル、画面が暗くてリオデワントのアクションがちゃんと見えなかったんです…映画館でもう一回お願いします!!!!