インドネシア映画の記録

見たインドネシア映画の記録をする。

日本では3にあたる『ベン&ジョディ』しか見られない『珈琲哲學』1と2のあらすじ

ごたくはいいからあらすじまで飛びたい人はこちら

 

現在Netflixで大人気配信中の『ベン&ジョディ』

www.netflix.com

私が5年間推し続け、インドネシア語を学び、インドネシアに年1で渡航する最たる理由となっているベンとジョディですが、この作品は『珈琲哲學』シリーズの第三作にあたります。ベンとジョディにはジャングルに行く前に大都会ジャカルタでの長い歴史があるんです。

2016年の東京国際映画祭に招致され、日本の配給会社に買いつけられて一般公開を待つばかりだった『珈琲哲學』はしかし、配給の不手際により一般公開はなされずAmazonprimeで配信されていました。2026年の2月まで。

そう、今年の2月、配給権が切れたため配信がなくなりました。映画の配給権はだいたい10年で一区切り。予想をしていなかったわけではないものの、5年間宣伝活動に勤しみ続けてきた身としては衝撃でした。そもそも『珈琲哲學2』は最初から日本で見る術がなく、1はアマプラ有料、3はNetflixという、見てくださいというにはハードルの高い環境だったけれども、とうとう1までも見ることができなくなってしまったのです。アマプラで購入済み&インドネシアで制作会社10周年記念でのみ販売されたDVDを持っている私は見ることができますが、人に「見てくれ」ができない。自ジャンルを耕したいおたくとしては痛恨です。もちろん、私に連絡をくれればパソコンを担いでどこにでも行き『珈琲哲學』1と2を解説付き(黙ることもできます)で見せますが、そんなプレッシャーをかけられながら見たいおたくはそう多くない。

配信終了の報を聞いてしばらくは「やりきったってことだな」と半ば諦めの境地でした。SNSでは日課のようにベンとジョディを推し続け、インドネシア映画紹介本と抱き合わせで出した『珈琲哲學』だけを推す46頁/変型/クラフト/特色白インク の無料配布(発刊当時)はいつの間にか神戸の珈琲豆屋で通販中

cozycoffee.stores.jp

となり(映画をきっかけに知り合っただけでなんの利害関係もないお店です。本当に珈琲が美味しく、真摯で誠実で素敵な人柄の店主とバリスタが友人同士で始めたお店。是非珈琲だけでも買ってみてください)ジャカルタのブックフェスタでも販売される光栄にもあずかり、できる範囲のことは全部やった結果のいま。だから自ジャンルのおたくがそんなに増えなかったとしても受け止めるしか仕方がない。映画は素晴らしいし宣伝も頑張った、でもおたくが食いつくかどうかには風向きがある。だからあとは静かに好きでいよう。そう思いました。

 

でもまだ『ベン&ジョディ』は見られる。

おたくでもなんでもない珈琲豆屋さんが「まだ『珈琲哲學』のためにできることがあるのかもしれない」といって頑張ってくれている。(おたくでもなんでもないのに同人誌やWEBアンソロに寄稿もしてくれます。どうして)

ムパラで全然関係ない香港映画の本を売りに行って、1冊も出ないだろうけどと置いていた『珈琲哲學の本』を手に取ってくれる人がいる。

 

じゃあ可能性はまだ……ある!?

 

というわけで『ベン&ジョディ』を見てくれるかもしれない人たちのために簡単に『珈琲哲學』の1と2のあらすじを置いておきます。

ちなみに

ポスターの変遷

を見ると、いかに3が異質なのかをわかってもらえると思う。1と2はシティボーイのカフェ経営を主軸にした話ですが3になるとジャングルに突っ込まれてヤヤン・ルヒアンが出てきます。でもベンとジョディがふたりで生きる選択をするに至るためにジャングルが必要だった。

Filosofi Kopi (2015) - IMDb

 

 

Ben & Jody (2022) - IMDb

 

ね。私は一番最初に3のポスターを見た時、名前だけ同じ違う映画の話なんだろうなと思ってました。

 

<あらすじ>

前置きが長くなりましたが、以下にあらすじを書いておきます。ご参考になれば幸いです。本当のことしか書いていませんし、嘘は入っていませんが時折私の感想が(感想と分かるように)紛れ込んでいます。長すぎるんですがどう削ればいいかわからなかった。この長さを読むだけでうんざりするという人もいるかもしれないから削るべきなんだけど全部必要な情報過ぎて・・・・・・太字とでかい字はおたく本質情報です。どうぞよろしくお願いします。

読まなくても『ベン&ジョディ』だけ見ることは可能ですので、ここであらすじが長いだけで諦めないでください!!とりあえず見て!見てから読んだっていいんだ!!!

 

☕『珈琲哲學』

幼いころから兄弟のように育ってきたベンとジョディ。珈琲を淹れることを天職とするベン(長髪)のためにジョディ(眼鏡)は亡くなった父親の経営していた雑貨店を改装してカフェ「FIROSOFI KOPI(珈琲哲學)」を開店する。珈琲に関しては天才といっていいベンだが、幼くて我儘、自分の理想とする珈琲のためなら他のことは考慮しない性格のため、父親の残した借金と店の資金繰りに苦しむジョディとはしょっちゅう衝突している。そんな中「珈琲マニアの投資家から資金を得るためジャカルタで一番の珈琲を淹れてほしい、投資家が認めたら1億ルピア(約100万円)を渡そう」という不動産会社の社長が現れる。もちろん話にのれというジョディだが、ベンは社長に「俺が勝ったら10億ルピア(約1000万)、そのかわり負けたら俺たちが同じ額払う」と勝手に約束する。負けたらどうするんだと切れるジョディだが俺は負けないというベンを結局は信じて、ジャカルタで一番のブレンドを作る日々が始まる。

最高の珈琲「ベンズペルフェクト(ベンのパーフェクト、命名ジョディ)ができ、店でも大好評、連日満席で自信満々のふたりだが、珈琲の本を出版するという国際珈琲鑑定士の資格を持つエルが店を訪れ「まあまあね」と評する。納得のいかないベンがそれならインドネシアで一番の珈琲はどれだよと詰めると珈琲農家のところで飲んだ「ティウス」だという。エルに認められないなら勝てない、勝てなければ店を売るしかないとジョディはティウスの農園に行ってベンズペルフェクトの方が美味いことを確かめようというが、ベンは二の足を踏む。スマトラ島のある村で珈琲農園を営んでいたベンの父親は、パーム油のプランテーションのため土地を奪おうとする企業に対して反対運動を行っていた。その結果、妻を見せしめに殺され「次は息子だ」と脅された父は農園を捨て、二度と珈琲に手を出さないと誓った(これはフィクションですが、インドネシアには実際にそういった強制的な土地の強奪と企業に雇われたやくざ者による暴力の歴史があります)。ベンにも珈琲と関わることを禁じるが幼く状況の理解できなかったベンはそれに反発して家出し、ジャカルタでジョディの父親に助けられそのまま引き取られていた。そのトラウマで農園に近づきたくないベンだが、店の従業員であり開店前から一緒の仲間にお金が必要になったこともあって、重い腰を上げてエルとジョディと三人で農園に向かうことになる。道すがら、エルに興味のあるジョディが親しくすることに腹を立ててわざとお茶をぶくぶくさせて飲んだり、話の邪魔をするためにリズムを取ったり、机を叩いて不機嫌になったりする(話の本筋とは関係ないがおたくてきに重要な情報)。ティウスの農園で温かく迎えられ、本当に美味しい珈琲を飲むがベンは挑戦的な態度を崩さない。秘密があるはずだ、畑を見せろといって珈琲農園に向かうベンが見たのは父親に教えられた哲学と同じ思いで珈琲を育てる農園の主セノの姿だった。

ティウスを買うというジョディと大喧嘩し、エルに「あなたの珈琲は執念、セノさんは愛を込める」といわれたベン。ジャカルタに戻り、素直にティウスを焙煎して投資家に出し、見事10億ルピアを手にするが、そのまま店を辞めると言って出て行ってしまう。スマトラ島に戻り、野菜農家となった父親と20年ぶりに再会してお互いの誤解を解いたベンだが、ジャカルタではひとり置いていかれたジョディがなんとか店を回しながら、ベンとの幼少期のビデオを体育座りで(話の本筋とは以下略)見てベンの不在に耐えていた。

ジャカルタからスマトラ島の村まで、車と船で一日がかりの道のりを向かうジョディ。ベンとベンの父親に迎えられたジョディは「俺は頭でお前は魂。バラバラじゃ生きられない」と帰ってきてほしいと伝える。

そして帰ってきたベンが見たのは売却済みの店と、キッチンカーである珈琲バスだった。お金はセノさんに渡した、このバスでインドネシア中にお前の珈琲を飲ませようというジョディ。仲間と共にバスに乗り込み、肩を組んだふたりは次の街へと出発する。

 

☕☕『珈琲哲學2』

1のラスト、店を売って代わりにコーヒーカーで国中を周ることにしたベンとジョディ。その旅の様子から映画は始まる。島から島へと珈琲バスごと船に乗せ気の向くままに青空カフェを開店し珈琲を淹れる日々にはなんのしがらみもなく、資金繰りに追われもせず、2人は幸せで堪らない様子だ。

けれどそんな毎日の中、体調を崩した仲間のナナがベンとジョディの泊まる部屋(※お金があるにも関わらず当然のように2人部屋なのですが、ベッドはひとつ、洗面台は2つという構造です。ジョディは下着一枚に薄いガウンを羽織るだけの格好で洗顔しており、ベンはベランダで珈琲を飲んでいます。2人と顔合わせたナナはその様子をみて「あっ(察し)」の顔をします。こちら全て誇張なしの見たままです。本当です)を訪ね、妊娠したことを告げる。祝福してナナを夫のいるジャカルタへ送り出し、変わらず旅は続いていくつもりだったベンとジョディだが、バリスタのアガーとアルディもジャカルタに戻りたいと告白し、店を去ってしまう(※グッズTシャツができたぞー!と2人ではゃいでいた時にいわれました。何年も一緒にいる仲間なのに自分の店が持ちたいという夢に気づくともなく不機嫌になるベンはベンなので仕方ないとしてもジョディも引き留めにかかるので、本当にお互いのことしか考えてないんだなと思います。コーヒーカー生活があまりにも幸せだった)。

なんとか続けていこうとするが人手不足で店は回らず(※ジョディがスタッフを雇っても一週間以内にベンが全員クビにします。臨時スタッフの捨て台詞は「ジョッド、あんな奴とは働けない」です)2人はジャカルタに戻り元の店を再開させることを決断する。

しかし土地の高騰と資金不足で簡単には買い戻せず、投資家を募ってもなかなか話が進まない。そんな中、友人の紹介で会ったタラという女性が興味を示すが、彼女の出した条件は共同経営者の立場と49%の株式だった。ありえないというジョディに対し、支店も出して店を拡大していこうという提案に乗り気のベンはわかりもしない株式の話に大丈夫だと決断を促す。結局のところベンのやりたいようにさせてやりたいジョディは軌道に乗ったら買い戻せばいいからとタラの提案を受け入れ契約書を交わし、3人で店を再開することとなる。

オープンから長蛇の列を作るFilosofikopiだったが、ある日来店したブロガーに「魂を失った」と評されてしまう。そのブロガーに珈琲を淹れたのはブリーというジョディが雇った女性で、最初からべンには気に入らないバリスタだった(※基本的にジョディが連れてくる女性については敵対心をもって接するか口説くかの二択です)。挽回を図るためにジョグジャカルタの支店の準備を急ぎ、そのオープニングイベントにブロガーを呼ぼうというタラの提案に乗って、ベンはタラと共にジョグジャカルタに向かう。インテリアやエスプレッソマシンなど理想の店づくりに邁進するベンは、ジョディと違って投資すべき場面だと思えば資金を惜しまないタラに懐き(※タクシー代を出させる上にスマホまで買ってもらうヒモっぷりを見せていました。コーヒーカー生活時、スマホはジョディのものを借りていたので多分1の最後辺りでいらなくて捨ててます。ジョディがいれば完結する生活を送る男)、財務を案じるジョディはブリーを連れて支店にやってくる。
タラと仲を深める様子のベンを気にするジョディを後目に、ブリーの紹介で上質の珈琲豆の仕入れ先も決まり開店準備は着々と進んでとうとうオープニングイベントの日を迎える。

賑わう店の中、上機嫌で珈琲を淹れているベンの元に一本の電話が入る。それは、父の逝去を知らせるものだった。
失意に沈むベンを抱きしめ、葬儀で共に棺を担ぐジョディ。埋葬を追えたところに父の死を悼むグリーティングボードが送られてくるが、送り主は母を殺して父の珈琲農園を奪った企業だった。激昂しグリーティングボードを破壊するべン。その夜、ジョディと2人になったベンは「ひとりになっちまった」と零し、ジョディは「まだ俺がいる、ベン」と珈琲を差し出す。ひと口飲んで「どうやってこれ淹れたんだよ、なにが俺がいる、だ」といってベンは珈琲を淹れ直し、ジョディはほっとしたように笑う。

そうして支店に戻った2人だが、数日後、今度はタラ宛に店のオープンを祝うグリーティングボードが届く。送り主はタラの父親で、そしてその父親の名は、葬儀で見た企業の名前と同じだった。ジャカルタに戻り契約書を確認したベンは、タラが最も憎んでいる相手の娘だということを知って荒れ狂い、葬儀でそれに気が付きつつも口にすることができなかったジョディはタラをベンから引き離そうと仕事に連れ出し、避けられていると悩むタラに状況を説明する。父親と折り合いが悪く、Filosofi Kopiへの出資もあくまで自分の稼いだ資金から出していたタラだがそれでも責任を感じてショックを受け、ジョディはそんなタラをケアしようとする。一方のベンは支店から戻ってきたブリーとぶつかりながらも仲を深める。

ベンに謝罪しようとジョディに黙って店を訪ねるタラだが、そんなことができる精神状態ではないベンと言い合いになり、駆けつけてきたジョディに対してもベンはお前は俺を裏切ったんだと喚き散らす。

「お前は全部知ってたのに俺に隠してた!」
「隠してたわけじゃない。どうすれば解決できるか考えてただけで、みんなにとって一番いい方法を」
「みんなに?あいつにだろ? あぁ? お前あの女が好きなのか? いってみろよ、俺に。誰が俺の母親を殺したんだよ、誰が俺の父親を野菜農家にしたんだよ」
「ベン、話を」
「お前あの女と知り合ってどのくらいだよ。俺とお前は人生の全部で一番の親友だった。お前がどんな女を好きになろうと結婚しようと離婚しようとそいつらをくそみたいに捨てたって俺は気にしない、どうでもいい。だけど、あの女はだめだ、ジョッド。いっそ俺を殺せよ」

後日ジョディとタラを呼び出したベンは2人の株を全部買い取ると宣言する。お前だけの店じゃないと追いかけるジョディを置いて去り、株を買う金を借りに行くが、知り合いの金貸しにお前たちは2人でなきゃだめなんだと諭される。金の問題じゃない、ジョディと一緒に問題を解決しろと断られてどうしようもなくなったベンは、ブリーを誘って故郷の村を訪れる。

父の残したものがあると住民から聞かされていたベンがそこで見たのは、小さなビニールハウスで成長する珈琲の苗たちだった。妻を殺され、息子を失いかけ、二度と珈琲の木に触れることはないと豆を焼き払った父がベンのためにもう一度栽培を始めていたことを知り、ベンは父の愛に触れて涙をこぼす。

ジャカルタに戻る船の中、ブリーに何を考えてるかと聞かれてベンは「ジョディ」と返す。

店を辞め、故郷の村で珈琲の木を育てることに決めたベンに、ジョディは伝える。

「でも今度はもう迎えに行かないからな」
「くそ野郎、店を辞めて、俺をひとりきりで残していって、それもお前のためになるんだな」

堪えきれない涙を隠しながらそういって抵抗するが、それでも最後には「気を付けろよ、べニ」と送り出す。

ミッドクレジットでは珈琲豆を出荷するベンとブリー、支店でエスプレッソマシンの前に立つジョディとタラの姿が描かれる。

 

ここまで読んでくれた方、本当にありがとうございます。『ベン&ジョディ』への準備はばっちりです。2で自立してお互いの道を行くふたりですが、やはりバラバラでは生きられない。その確認のためのジャングルが始まります。

 

youtubeにはミニシリーズもあります。2分間だけ見てもらえると本当にやおいが凄いことが分かってもらえると思う。

おたく的にすごい情報、いくらでも出せるので(ビハインドとかインドネシアに実際にあるお店のこととか)いつでもご連絡ください。本当にいつでも、懇切丁寧に対応します。

youtu.be

Qorin2(2025)

Qorin 2 (2025) - IMDb

★★★

教員のフィトリは学校で酷いいじめを受けているジャヤを助けようと校長に訴えるが、加害者グループが村長やウスタズなど有力者の息子であるため、見て見ぬふりをされる。父親が直談判に来ても、ゴミ拾いの仕事を嘲笑うだけで相手にしない。再度訴えようと校長室を訪ねるフィトリだが、そこで誰かに殺されたらしい校長の遺体を見つける。しかし警察が来る間に死体は消え、翌日には校長はいつも通りに出勤していた。確かに死んでいたといっても聞いてくれる者はなく、一方でジャヤへのいじめは助ける方法のないままエスカレートしていく。

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ギナンティ監督新作。ギナンティ監督は大好きなんですがQorinは前作の方が良かったです。冒頭の笛?のようなものを咥え弾きながら呪術を使うドゥクンの姿は迫力あってすごく良かったんだけど。

Qorinというのは人間が生まれた時から死ぬまで共にあるジン/精霊のことで、イスラム教では堕落を唆す存在として描かれている。ジャワ文化ではそれをベースにしつつも神秘的な存在、怪異としての解釈もされている様子。今作では殺した相手のQorinを呪術によって支配し、ゾンビ化させるという形で使われていた。生前よくやっていたことを繰り返すばかりであまり複雑なことはできない。ドゥクンが死体を操るネクロマンサーの役割になる。

この設定自体は面白かった!ネクロマンサー的な黒魔術って見たことあったかな…あったような気がしなくもないがメジャーではない。ポチョンがぴょんぴょんするのとは違うからね。操られてる死体だから。ポチョンか、黒魔術の材料になる死体というのが多いので死体そのものを操るのは新鮮でした。

このネクロマンサーがジャヤのお父さんで、ジャヤのいじめに加担した人間を全員殺してはゾンビ化していくけれど、フィトリと弟のリジャイによって呪術が破られ、結局蛮行が発覚した父親は村人からリンチされて死んでしまう。この流れ自体は社会批判なんだと思うんですよ。どれだけ理不尽なことが行われていても権力と金がなければ正義は叶わず、被害者が更に追い詰められて終わる、インドネシアでよく聞く話だから。(無論日本でも同様なのだけどインドネシア映画なのでインドネシア社会の話をします)たまにSNSの力等で金持ちバカぼんぼんの犯罪行為がきちんと裁かれることがあり、ローカルニュースになったりバイラルになったりしてるけど、なぜバイラルになるかといえばそれが滅多にない事だからなんだと思う。たいていの場合はもみ消せる。それが権力があるということだから。この辺の話はKEADILANでもテーマになってましたね。まだ見てないけどOZORAもそう。凄惨ないじめを描写しながら、被害者が更なるリンチで死ぬのはそういう現実を映しているのだと思う。でも、それをテーマにするなら構造批判を入れないと批判として成立しないと思うんですよ。Qorin2で最後フィトリはジャヤを逃がすけれど、数年後の描写として、積極的にではないにしろいじめに加担していた弟リジャイは無事に高校を卒業して資格を得て喜び、戻ってきたジャヤは父親と同じ呪術を使って父親を蘇らせ復讐をたくらむ…という描写で終わる。ホラー映画としてはきれいにまとまってるけど、これじゃ結局同じことの繰り返しじゃないですか。誰も力のない被害者を救わない、そのことをこの物語の最後に見せてはだめなんだよ。なぜならこれはいじめについての物語だから。現在進行形でいじめられているこどもたちに送るメッセージとしては最悪だから。たったひとり自分を愛する人を失って、全ての権利を無視されて、人を殺すしか選択肢がなくなるというラストにするんだったらもう最初からジャヤ自身が加害者を呪いまくっていた方がましだったと思う。

前作のQorinはその「誰と/何と戦うべきなのか」「私たちを追い詰めるものは何なのか」というところに焦点があたっていたのですごくよかったんだけどな。

JALAN PULANG(2025)

Jalan Pulang - Wikipedia bahasa Indonesia, ensiklopedia bebas

★★★★

学校で突如コンパスを振り回し、友人を刺したアルム。アルムが錯乱して人を傷つけるのは初めてではなく、それは決まって閏年の誕生日前だった。弟にまで手を出そうとするアルムの状態を見て姉は精神科への通院を勧めるが、母ラスティニは亡くなった夫の残したノートを元に娘を治すことのできる呪術師を探しはじめる。どの呪術師を頼っても呪いを解くことができずアルムが怪物になりゆく中、最後に辿り着いた呪術師は「ずっと待っていた」とラスティニに告げる。

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好きでした!!脚本は粗だらけなんですがあまりある絵面の良さ。初っ端からマルシナ/Shareefa Daanish(マカブル主演)が山羊を殺しまくるのを定点カメラで映す、最高に怖くて趣味がよい。Shareefaの力に頼っただけじゃないのはアルムの撮り方でもわかる。スローモーションやブレアウィッチプロジェクトのようなPOVが効果的で、容赦なく人間を襲うアルムがShareefaと同じくらい怖い。演出がうまくて、台詞で説明しなくても視線の動かし方など撮り方だけで意図するところがわかる。

撮りたい絵が先にあって、そのシーンを作るための辻褄合わせでしかない脚本、という感じなのでルナマヤ演じるラスティニが同じ過ちを繰り返し犯したり、さすがにアルムは殺人容疑で捕まるだろということもスルーだったりするけれど、これだけの絵が撮れるならまあいいか…となる。結局男の身勝手さが生んだ呪いで、呪いに狂わされるのは女だというのは何度も言ってるようにもう飽きたんですが……脳性麻痺のこどもが生まれたことで妻子を虐待した夫、子を失って失意の中自死した妻に頼んでもいないのに黒魔術かけて悪霊化して夫に復讐させる横恋慕運転手(死体の背中の皮膚を切り取ってそこに呪文を書いていた。新しい黒魔術)、どっちもクズすぎて言葉もない。アルムにかけられた呪いの解呪方法は養女である姉を犠牲にすることだ、と知らされたラスティニがすぐに拒絶していたのだけは良かったです。

辿り着いた最後の呪術師が執り行う盛大な儀式(鳥籠、ガムラン、吊るされた鴉、踊り子)と、その儀式を形作るもの全てに破壊の限りを尽くすアルムのシーンは恐怖の祝宴といった様相で素晴らしかった。特に踊り子が自らの体を自分で破壊して死にゆく姿が恐ろしく美しい。

監督のJeropointさん、脚本家として活動していて監督はこれが一作目の様子。2026年は既に3本撮ってるので今作が評価されたんだろうな。一作目でこのクオリティなので新作も見ていきたい。

Janur Ireng: Sewu Dino the Prequel(2025)

Janur Ireng: Sewu Dino the Prequel - 予告編

★★★★★

二人きりで慎ましく暮らしていたサブドとインタンの兄妹だが、ある日火事で住む場所を失ってしまう。そこに叔父だと名乗るアルジョが現れ、自分の家に越してくるよう援助を申し出る。叔父の豪邸で実の息子、娘のように扱われこれまでとは全く違った暮らしを始める二人だが、サブドはアルジョから奇妙な儀式への参加を強制されるようになり、インタンも秘密の地下室で恐ろしい光景を見ることになる。逃げ出そうとする二人だが、悪霊に憑りつかれたインタンが周囲に襲いかかって叔母を殺してしまう。その死の直後、執り行われたのはアルジョとインタンの結婚式だった。

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うおおおおおお面白かった!!!SEWU DINO前日譚!!SEWU DINOがほぼ説明なかった分、Janur Irengで背景がわかるようになっている。ラスト近くまで来ないと全貌は見えてこないものの、よくわからない怪異がそこかしこで勃発してもアルジョの野望という物語の中心がきちんと提示されているので、観客は映画を「わからない」と思うのではなくサブドと共に「理解できない」状況を体験することができる。

今作で明らかになった、シリーズの大きな枠組みである「悪魔を使役する名家同士の争い」これ自体が面白すぎる。アルジョのクンチョロ家は代々山羊の頭を持つ悪魔と契約しており、使役するためには満たさねばならない条件がある。当主が血縁の女を娶りその妻を悪魔に捧げることで家が守られ、canguk songoと呼ばれる役割をもって生まれた者が儀式を行うことで敵を呪い殺すことができる。他にも同様に悪魔を使役する家があり、SEWU DINOで出てきたアトモジョ家もそのひとつ。クンチョロ家の暴虐な振る舞いに対してアトモジョ家含む他家が団結し、強大な山羊の悪魔の加護を破る唯一の呪術「Janur ireng」を放とうとする。お家ものホラーバトル映画だこれ。

Janur irengのために利用されインタンを失ったサブドがアトモジョ家に復讐をしているのがSEWU DINOの語られなかったバックグラウンド。なるほどなー!!二作で一作のような作りだ。Faradina Mufti演じるガヤトリ家も、今作ではクンチョロ家を滅ぼすためアトモジョ家に協力しつつ腹には一物あってサブドのアトモジョ家への復讐を助けているし、シリーズ続編がものすごく気になる。

トラ・スディロは色々出てるけどホラーは初出演らしい。コメディアンなので面白味のある役が多いけど、野心に満ちた欲望剥き出しのクンチョロ家当主、ものすごくあってましたね。妹であり妻であるラスミニを悪魔と性交させるために体を洗ってやるシーンの不遜で不快な姿、記憶に残る。支配欲を見せながらも悪魔に捧げることになんの躊躇いもない。

そして特筆すべきはもちろんスギクです。従うことしか知らない臆病な召使リオデワント!!!SEWU DINOでも同じだったけど仕えている家が違う。何の力も権力もないけれど全てを知っている存在なんですよ……一介の召使にわざわざリオデワントを起用した理由がわかりました。SEWU DINOでは主人公に「お金をもらっていたら私のようになる」と警告を発していたけど、アトモジョ家との間になんらかの強制的な契約が生じているんだろうな。そこの話教えて・・・いつもの可愛そうなリオデワントが見える・・・

Jamur irengの発動によりキモ監督らしい派手なスプラッタで次々死んでいくクンチョロ家の狂乱の宴シーンもよかった。アルジョは当然首と胴体が別々になりました。シンプルマンユニバース×キモ監督、今後も本当に楽しみにしてます。

PANGKU(2025)

The Film “PANGKU” Hypnotises Spectators with Cues

★★★

ジャワ島のある町に降り立った妊娠中のサルティカ。Kopi Pangku(珈琲と軽食を出す屋台。女性従業員が客の膝に乗って接待し、性的サービスを伴うこともある)の主人マヤは家も仕事もない彼女を迎え入れ、同居して家族のように暮らし始める。息子を出産後、Kopi Pangkuで働き始めたサルティカはトラック運転手のハディと恋仲になり、ハディの用意した家に息子と共に引っ越すが、だんだんとハディの帰宅に間があくようになっていく。

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レザ・ラハディアン監督作。絶賛の嵐でした。確かに映画として完成されており、俳優の初監督作品、しかも長編でこの出来栄えは尋常ではなかった。レザの映画に対する真摯な情熱と誠実さを感じる。

ただ、私が、こういう映画を全然好きじゃない。あるがままをあるがままに撮り観客の手に委ねる映画、が私は得意ではないのである。個人的な好み、というか物語に何を求めているかの問題なのでPANGKUが絶賛されるのに頷きはするのだけど。

台詞は最小限に抑えられ、わずかな視線や振る舞いで人々の状況が表現される。画面は静かで、映る全てが等価で、是非を判断するような語りは一切ない。観客があるがままを受け取るようにできている。でもその美しく撮られた「あるがまま」は決して本当のあるがままではないと思う。これは映画だから。魚の匂いもゴミの匂いも、化粧の匂いもない映像は、当然ながら既に加工されたものだ。最後に「お母さんありがとう」と監督から母親への個人的なメッセージが出る、お母さんのために美しくパッケージされた「あるがまま」だ。

その矛盾をどう飲み込めばいいのかわからない。

うまく感想が書けないので、2つ映画評を貼っておきます。

https://jakartahanachan.blog/archives/3609

https://asianews.network/pangku-indonesian-actor-reza-rahadians-tender-take-on-motherhood-and-realism/

下の記事のインタビューで小津、是枝、パナヒの名前が出てくるのだけど、PANGKUは明らかにその影響を受けているし、やっぱり私の得意でない監督たちなんだよな。パナヒは「これはフェイクだよ」というのをはっきり出してくるのでちょっと違うんだけど。

DOPAMIN(2025)

Dopamine (2025) - IMDb

★★★

仕事が見つからず借金に追われるマリクとアリャの若い夫婦。貧しさから夫婦関係もうまくいっていなかったが、偶然家に泊まらせることになった男が大金の入った鞄を残したまま死んだことで生活が一変する。死体を切断して埋め理想の生活が手に入ると思ったがある日、金を探して見知らぬ男が訪ねてくる。

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超豪華結婚式の様子をインスタで見たばかりのリアルゴージャスカップルであるアンガとシェニナに貧困夫妻やられても説得力が……!と思ってましたがこの映画の主眼は金を巡るサスペンスというよりロマンスであり、非日常の興奮の中で盛り上がる夫婦関係の笑える変化を見るものなんだなと思ったら納得がいきました。それはリアルカップルの方が面白い。だからタイトルドーパミンなんだな。遺体乗せた車で警察の目を逃れたことに興奮したり、遺体損壊して帰ってシャワー浴びてる夫に色気を感じたり。そういうシーンが多いわけではないけどHindiaやReality Club流れてたから見方として的を外してもいないだろう。

サスペンスとしてはあんまり面白くない。都合よく進むけどマリクは大して頭良くなさそうだし実際やってることは穴がありすぎるので。でも推しカプ二次創作で考えたら大興奮案件。なのでやっぱりリアルカップル起用は正しいんだろう。

シェニナの演技力は随一なので、ゴージャスカップルの気配を完全消去して不甲斐ない夫に愛想つかしかけてるお金のない若妻になっていてすごかった。テウク・リフヌ・ウィカナも出ると映画が締まる俳優の一人。怖いんだよな~IKATAN DARAHでの日本でのキャッチフレーズ「最狂」か「最凶」だろうなってキャラも楽しみ。

Dendam malam kelam(2025)

Vengeance in the Dreary Night (2025) - IMDb

★★★★

検死所から遺体がなくなった。刑事のアリャは遺体の夫であるジェフリを疑う。ジェフリは愛人のサラと共謀し、心臓発作に見せかけて妻を殺していたが遺体を動かした覚えはなかった。遺体の喪失だけではなく次々とおかしなことが起こり始めて、ジェフリは仮死状態だったソフィアが蘇り自分たちに復讐をしに来たのではないかと疑いはじめる。

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スペインの『The Body』の翻案。韓国版は『死体が消えた夜』。期待以上に面白かった。インドネシアはリメイクがうまいなと思う。持ち味を殺さず、新しい映画にしている。

ホラーがミステリーもサスペンスも含んでしまう(誰が犯人か?が誰が黒魔術やってるか?になっている)せいでジャンルとしてのミステリー映画、サスペンス映画ってインドネシアは凄く少ないけど「ホラー風味を含んだミステリー/サスペンス」(逆ではなく)ってすごく向いてると思うから増えていってほしいな。どうしても客が入るホラーに寄ってしまう。ミステリーが少ないの、警察が賄賂集団のイメージ強すぎるせいもあるんだろうなあ。

マレーシアのブロント・パララエが出演していて嬉しい。ブロントがいるとインドネシア映画はちょっと違う風味になる。