インドネシア映画の記録

見たインドネシア映画の記録をする。

Qorin2(2025)

Qorin 2 (2025) - IMDb

★★★

教員のフィトリは学校で酷いいじめを受けているジャヤを助けようと校長に訴えるが、加害者グループが村長やウスタズなど有力者の息子であるため、見て見ぬふりをされる。父親が直談判に来ても、ゴミ拾いの仕事を嘲笑うだけで相手にしない。再度訴えようと校長室を訪ねるフィトリだが、そこで誰かに殺されたらしい校長の遺体を見つける。しかし警察が来る間に死体は消え、翌日には校長はいつも通りに出勤していた。確かに死んでいたといっても聞いてくれる者はなく、一方でジャヤへのいじめは助ける方法のないままエスカレートしていく。

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ギナンティ監督新作。ギナンティ監督は大好きなんですがQorinは前作の方が良かったです。冒頭の笛?のようなものを咥え弾きながら呪術を使うドゥクンの姿は迫力あってすごく良かったんだけど。

Qorinというのは人間が生まれた時から死ぬまで共にあるジン/精霊のことで、イスラム教では堕落を唆す存在として描かれている。ジャワ文化ではそれをベースにしつつも神秘的な存在、怪異としての解釈もされている様子。今作では殺した相手のQorinを呪術によって支配し、ゾンビ化させるという形で使われていた。生前よくやっていたことを繰り返すばかりであまり複雑なことはできない。ドゥクンが死体を操るネクロマンサーの役割になる。

この設定自体は面白かった!ネクロマンサー的な黒魔術って見たことあったかな…あったような気がしなくもないがメジャーではない。ポチョンがぴょんぴょんするのとは違うからね。操られてる死体だから。ポチョンか、黒魔術の材料になる死体というのが多いので死体そのものを操るのは新鮮でした。

このネクロマンサーがジャヤのお父さんで、ジャヤのいじめに加担した人間を全員殺してはゾンビ化していくけれど、フィトリと弟のリジャイによって呪術が破られ、結局蛮行が発覚した父親は村人からリンチされて死んでしまう。この流れ自体は社会批判なんだと思うんですよ。どれだけ理不尽なことが行われていても権力と金がなければ正義は叶わず、被害者が更に追い詰められて終わる、インドネシアでよく聞く話だから。(無論日本でも同様なのだけどインドネシア映画なのでインドネシア社会の話をします)たまにSNSの力等で金持ちバカぼんぼんの犯罪行為がきちんと裁かれることがあり、ローカルニュースになったりバイラルになったりしてるけど、なぜバイラルになるかといえばそれが滅多にない事だからなんだと思う。たいていの場合はもみ消せる。それが権力があるということだから。この辺の話はKEADILANでもテーマになってましたね。まだ見てないけどOZORAもそう。凄惨ないじめを描写しながら、被害者が更なるリンチで死ぬのはそういう現実を映しているのだと思う。でも、それをテーマにするなら構造批判を入れないと批判として成立しないと思うんですよ。Qorin2で最後フィトリはジャヤを逃がすけれど、数年後の描写として、積極的にではないにしろいじめに加担していた弟リジャイは無事に高校を卒業して資格を得て喜び、戻ってきたジャヤは父親と同じ呪術を使って父親を蘇らせ復讐をたくらむ…という描写で終わる。ホラー映画としてはきれいにまとまってるけど、これじゃ結局同じことの繰り返しじゃないですか。誰も力のない被害者を救わない、そのことをこの物語の最後に見せてはだめなんだよ。なぜならこれはいじめについての物語だから。現在進行形でいじめられているこどもたちに送るメッセージとしては最悪だから。たったひとり自分を愛する人を失って、全ての権利を無視されて、人を殺すしか選択肢がなくなるというラストにするんだったらもう最初からジャヤ自身が加害者を呪いまくっていた方がましだったと思う。

前作のQorinはその「誰と/何と戦うべきなのか」「私たちを追い詰めるものは何なのか」というところに焦点があたっていたのですごくよかったんだけどな。

JALAN PULANG(2025)

Jalan Pulang - Wikipedia bahasa Indonesia, ensiklopedia bebas

★★★★

学校で突如コンパスを振り回し、友人を刺したアルム。アルムが錯乱して人を傷つけるのは初めてではなく、それは決まって閏年の誕生日前だった。弟にまで手を出そうとするアルムの状態を見て姉は精神科への通院を勧めるが、母ラスティニは亡くなった夫の残したノートを元に娘を治すことのできる呪術師を探しはじめる。どの呪術師を頼っても呪いを解くことができずアルムが怪物になりゆく中、最後に辿り着いた呪術師は「ずっと待っていた」とラスティニに告げる。

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好きでした!!脚本は粗だらけなんですがあまりある絵面の良さ。初っ端からマルシナ/Shareefa Daanish(マカブル主演)が山羊を殺しまくるのを定点カメラで映す、最高に怖くて趣味がよい。Shareefaの力に頼っただけじゃないのはアルムの撮り方でもわかる。スローモーションやブレアウィッチプロジェクトのようなPOVが効果的で、容赦なく人間を襲うアルムがShareefaと同じくらい怖い。演出がうまくて、台詞で説明しなくても視線の動かし方など撮り方だけで意図するところがわかる。

撮りたい絵が先にあって、そのシーンを作るための辻褄合わせでしかない脚本、という感じなのでルナマヤ演じるラスティニが同じ過ちを繰り返し犯したり、さすがにアルムは殺人容疑で捕まるだろということもスルーだったりするけれど、これだけの絵が撮れるならまあいいか…となる。結局男の身勝手さが生んだ呪いで、呪いに狂わされるのは女だというのは何度も言ってるようにもう飽きたんですが……脳性麻痺のこどもが生まれたことで妻子を虐待した夫、子を失って失意の中自死した妻に頼んでもいないのに黒魔術かけて悪霊化して夫に復讐させる横恋慕運転手(死体の背中の皮膚を切り取ってそこに呪文を書いていた。新しい黒魔術)、どっちもクズすぎて言葉もない。アルムにかけられた呪いの解呪方法は養女である姉を犠牲にすることだ、と知らされたラスティニがすぐに拒絶していたのだけは良かったです。

辿り着いた最後の呪術師が執り行う盛大な儀式(鳥籠、ガムラン、吊るされた鴉、踊り子)と、その儀式を形作るもの全てに破壊の限りを尽くすアルムのシーンは恐怖の祝宴といった様相で素晴らしかった。特に踊り子が自らの体を自分で破壊して死にゆく姿が恐ろしく美しい。

監督のJeropointさん、脚本家として活動していて監督はこれが一作目の様子。2026年は既に3本撮ってるので今作が評価されたんだろうな。一作目でこのクオリティなので新作も見ていきたい。

Janur Ireng: Sewu Dino the Prequel(2025)

Janur Ireng: Sewu Dino the Prequel - 予告編

★★★★★

二人きりで慎ましく暮らしていたサブドとインタンの兄妹だが、ある日火事で住む場所を失ってしまう。そこに叔父だと名乗るアルジョが現れ、自分の家に越してくるよう援助を申し出る。叔父の豪邸で実の息子、娘のように扱われこれまでとは全く違った暮らしを始める二人だが、サブドはアルジョから奇妙な儀式への参加を強制されるようになり、インタンも秘密の地下室で恐ろしい光景を見ることになる。逃げ出そうとする二人だが、悪霊に憑りつかれたインタンが周囲に襲いかかって叔母を殺してしまう。その死の直後、執り行われたのはアルジョとインタンの結婚式だった。

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うおおおおおお面白かった!!!SEWU DINO前日譚!!SEWU DINOがほぼ説明なかった分、Janur Irengで背景がわかるようになっている。ラスト近くまで来ないと全貌は見えてこないものの、よくわからない怪異がそこかしこで勃発してもアルジョの野望という物語の中心がきちんと提示されているので、観客は映画を「わからない」と思うのではなくサブドと共に「理解できない」状況を体験することができる。

今作で明らかになった、シリーズの大きな枠組みである「悪魔を使役する名家同士の争い」これ自体が面白すぎる。アルジョのクンチョロ家は代々山羊の頭を持つ悪魔と契約しており、使役するためには満たさねばならない条件がある。当主が血縁の女を娶りその妻を悪魔に捧げることで家が守られ、canguk songoと呼ばれる役割をもって生まれた者が儀式を行うことで敵を呪い殺すことができる。他にも同様に悪魔を使役する家があり、SEWU DINOで出てきたアトモジョ家もそのひとつ。クンチョロ家の暴虐な振る舞いに対してアトモジョ家含む他家が団結し、強大な山羊の悪魔の加護を破る唯一の呪術「Janur ireng」を放とうとする。お家ものホラーバトル映画だこれ。

Janur irengのために利用されインタンを失ったサブドがアトモジョ家に復讐をしているのがSEWU DINOの語られなかったバックグラウンド。なるほどなー!!二作で一作のような作りだ。Faradina Mufti演じるガヤトリ家も、今作ではクンチョロ家を滅ぼすためアトモジョ家に協力しつつ腹には一物あってサブドのアトモジョ家への復讐を助けているし、シリーズ続編がものすごく気になる。

トラ・スディロは色々出てるけどホラーは初出演らしい。コメディアンなので面白味のある役が多いけど、野心に満ちた欲望剥き出しのクンチョロ家当主、ものすごくあってましたね。妹であり妻であるラスミニを悪魔と性交させるために体を洗ってやるシーンの不遜で不快な姿、記憶に残る。支配欲を見せながらも悪魔に捧げることになんの躊躇いもない。

そして特筆すべきはもちろんスギクです。従うことしか知らない臆病な召使リオデワント!!!SEWU DINOでも同じだったけど仕えている家が違う。何の力も権力もないけれど全てを知っている存在なんですよ……一介の召使にわざわざリオデワントを起用した理由がわかりました。SEWU DINOでは主人公に「お金をもらっていたら私のようになる」と警告を発していたけど、アトモジョ家との間になんらかの強制的な契約が生じているんだろうな。そこの話教えて・・・いつもの可愛そうなリオデワントが見える・・・

Jamur irengの発動によりキモ監督らしい派手なスプラッタで次々死んでいくクンチョロ家の狂乱の宴シーンもよかった。アルジョは当然首と胴体が別々になりました。シンプルマンユニバース×キモ監督、今後も本当に楽しみにしてます。

PANGKU(2025)

The Film “PANGKU” Hypnotises Spectators with Cues

★★★

ジャワ島のある町に降り立った妊娠中のサルティカ。Kopi Pangku(珈琲と軽食を出す屋台。女性従業員が客の膝に乗って接待し、性的サービスを伴うこともある)の主人マヤは家も仕事もない彼女を迎え入れ、同居して家族のように暮らし始める。息子を出産後、Kopi Pangkuで働き始めたサルティカはトラック運転手のハディと恋仲になり、ハディの用意した家に息子と共に引っ越すが、だんだんとハディの帰宅に間があくようになっていく。

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レザ・ラハディアン監督作。絶賛の嵐でした。確かに映画として完成されており、俳優の初監督作品、しかも長編でこの出来栄えは尋常ではなかった。レザの映画に対する真摯な情熱と誠実さを感じる。

ただ、私が、こういう映画を全然好きじゃない。あるがままをあるがままに撮り観客の手に委ねる映画、が私は得意ではないのである。個人的な好み、というか物語に何を求めているかの問題なのでPANGKUが絶賛されるのに頷きはするのだけど。

台詞は最小限に抑えられ、わずかな視線や振る舞いで人々の状況が表現される。画面は静かで、映る全てが等価で、是非を判断するような語りは一切ない。観客があるがままを受け取るようにできている。でもその美しく撮られた「あるがまま」は決して本当のあるがままではないと思う。これは映画だから。魚の匂いもゴミの匂いも、化粧の匂いもない映像は、当然ながら既に加工されたものだ。最後に「お母さんありがとう」と監督から母親への個人的なメッセージが出る、お母さんのために美しくパッケージされた「あるがまま」だ。

その矛盾をどう飲み込めばいいのかわからない。

うまく感想が書けないので、2つ映画評を貼っておきます。

https://jakartahanachan.blog/archives/3609

https://asianews.network/pangku-indonesian-actor-reza-rahadians-tender-take-on-motherhood-and-realism/

下の記事のインタビューで小津、是枝、パナヒの名前が出てくるのだけど、PANGKUは明らかにその影響を受けているし、やっぱり私の得意でない監督たちなんだよな。パナヒは「これはフェイクだよ」というのをはっきり出してくるのでちょっと違うんだけど。

DOPAMIN(2025)

Dopamine (2025) - IMDb

★★★

仕事が見つからず借金に追われるマリクとアリャの若い夫婦。貧しさから夫婦関係もうまくいっていなかったが、偶然家に泊まらせることになった男が大金の入った鞄を残したまま死んだことで生活が一変する。死体を切断して埋め理想の生活が手に入ると思ったがある日、金を探して見知らぬ男が訪ねてくる。

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超豪華結婚式の様子をインスタで見たばかりのリアルゴージャスカップルであるアンガとシェニナに貧困夫妻やられても説得力が……!と思ってましたがこの映画の主眼は金を巡るサスペンスというよりロマンスであり、非日常の興奮の中で盛り上がる夫婦関係の笑える変化を見るものなんだなと思ったら納得がいきました。それはリアルカップルの方が面白い。だからタイトルドーパミンなんだな。遺体乗せた車で警察の目を逃れたことに興奮したり、遺体損壊して帰ってシャワー浴びてる夫に色気を感じたり。そういうシーンが多いわけではないけどHindiaやReality Club流れてたから見方として的を外してもいないだろう。

サスペンスとしてはあんまり面白くない。都合よく進むけどマリクは大して頭良くなさそうだし実際やってることは穴がありすぎるので。でも推しカプ二次創作で考えたら大興奮案件。なのでやっぱりリアルカップル起用は正しいんだろう。

シェニナの演技力は随一なので、ゴージャスカップルの気配を完全消去して不甲斐ない夫に愛想つかしかけてるお金のない若妻になっていてすごかった。テウク・リフヌ・ウィカナも出ると映画が締まる俳優の一人。怖いんだよな~IKATAN DARAHでの日本でのキャッチフレーズ「最狂」か「最凶」だろうなってキャラも楽しみ。

Dendam malam kelam(2025)

Vengeance in the Dreary Night (2025) - IMDb

★★★★

検死所から遺体がなくなった。刑事のアリャは遺体の夫であるジェフリを疑う。ジェフリは愛人のサラと共謀し、心臓発作に見せかけて妻を殺していたが遺体を動かした覚えはなかった。遺体の喪失だけではなく次々とおかしなことが起こり始めて、ジェフリは仮死状態だったソフィアが蘇り自分たちに復讐をしに来たのではないかと疑いはじめる。

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スペインの『The Body』の翻案。韓国版は『死体が消えた夜』。期待以上に面白かった。インドネシアはリメイクがうまいなと思う。持ち味を殺さず、新しい映画にしている。

ホラーがミステリーもサスペンスも含んでしまう(誰が犯人か?が誰が黒魔術やってるか?になっている)せいでジャンルとしてのミステリー映画、サスペンス映画ってインドネシアは凄く少ないけど「ホラー風味を含んだミステリー/サスペンス」(逆ではなく)ってすごく向いてると思うから増えていってほしいな。どうしても客が入るホラーに寄ってしまう。ミステリーが少ないの、警察が賄賂集団のイメージ強すぎるせいもあるんだろうなあ。

マレーシアのブロント・パララエが出演していて嬉しい。ブロントがいるとインドネシア映画はちょっと違う風味になる。

 

Legenda Kelam Malin Kundang(2025)

Apakah Malin Kundang Bersalah dalam Film Legenda Kelam Malin Kundang  (2025)? | Retizen

★★★★★

事故で一部の記憶を失ったアリフ。記憶の欠落に戸惑いつつも、陰鬱で頑なだった過去の自分とは違う人間として妻や息子と接し、18年会っていなかった母とも再会して親不孝を詫びる。むしろ幸せな生活を過ごせるように思えたアリフだが、徐々に違和感を感じ始め、家を尋ねてきたのが実は本物の母親ではないのではないかという疑いをもつようになる。

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ありがとうCOME&SEE PICTURES。ありがとうプロデューサージョコ・アンワル。ありがとう監督。

最高のリオデワント映画でした。全く違う内容ながらModus Anomaliに影響を受けた造りになっており、こういう役にリオデワントを配役するの、わかりがすぎる。ジョコの見たいリオデワントが常に私の見たいリオデワントだよ。

初っ端から「なにもわからないままソファで膝を折り畳み小さくなって泣くリオデワント」だった。この時点で百点満点の札を出していた。大事なことが思い出せないことに戸惑い、苦し気に悩むアリフ、与えられた情報を頼りにするほかなく、でも齟齬が出てきて周囲を疑わざるをえないアリフ、最高。自分自身に騙されていたという展開や嘔吐描写や穴掘りとModus Anomaliのエッセンスが随所にあって、好きなインドネシア映画トップ3にModus Anomaliを掲げている身としては大歓喜でした。影響は明らかだけれどパロディ、ましてやパクリではなく、新たな映画として再構築されていた。マリン・クンダン、作中で語られて思い出したけど「海辺の村に住む若者が母親に成功して帰ることを約束して出稼ぎに行くけれど、時がたって立派な船に乗り美しい妻と共に帰った若者はみすぼらしい母親を恥ずかしく思って”知らない”と告げ、母の願った神罰によって石になってしまう」インドネシア民話か!だからプロモーション期に石が使われてたんだね~

謎解きにあたる部分は非常に辛い展開ではあったものの伏線が綺麗に回収され、ミステリとしても秀逸でした。物語としても、アリフという人間の在り方についても過不足なく理解できるようになっていた。謎解きはしっかりやりつつ、最後の信頼できない語り手の語りで終わるところもうまかったです。いい映画!

トラウマっていうとだいたいこのオチになってしまうのはもう見たくないなの気持ちはありますが。アリフのされてきたことについてもかなり辛かった。表現は工夫されていたと思うけど。

演出や撮り方も好みだったな。妻とのシャワーシーンで互いの背中越しに顔が映るところや、事後の煙草のやり取りは美しく、夫妻の愛を感じて、コインランドリーで過去のアリフが映るところではいまのアリフとの違いがCCTVの画質によって表現されていた。アリフに買われて偽の母親を演じたスラム街のおばさんが「息子みたいに思ってた!あんたの家のお手伝いさんをやるよ!」と叫ぶのも、アリフの記憶喪失によって生まれた本来あり得ない言葉で、人間の感情の複雑さが現れていて印象深かった。

COME&SEE PICTURES、まだジョコ監督以外の作品は少ないけどたくさん制作していってほしいなあ。