インドネシア映画の記録

見たインドネシア映画の記録をする。

Jalan yang Jauh, Jangan Lupa Pulang(2023)

★★★★★

”私が作る”家族の話だった。大好きです。

1人であることを、誰しも他者であり血縁もただそのように生まれたにすぎないことを、他者だからこそ繋ぎ合える手のことを、認め、選び、生きることの苦しさ、辛さ、耐え難いその道。

英題であるA Long Way to Come Homeの意味がわかった時に涙が抑えられなかった。原題だと『遥かな道のり、帰るのを忘れないで』になるのかな。忘れるためには家が必要だったんだね。 ずっと心にあって、口に出すことは愚か認めることすら許されなかった思いと意志とを、はっきりと、アンカサという自分のために犠牲になり続けた存在の前でさえ言えたこと、本当に良かった。オーロラはこれでやっと呪いが解けた。

しかし、本当に恐ろしい話を書かれた…前作(Nanti kita cerita tentang hari ini)で許さないけれど愛することはできる存在として家父長制代表父親に過ちを認めさせたんだと思ってましたが、子どもたちにかけられた家父長の呪いがそう簡単に解けるわけがないだろうという、怖すぎる突きつけ方を二作目でやってくるアンガ監督………考えていたような場所にいない、この監督は…手段が違うだけで、定められた秩序と支配を破壊しようとするジョコ監督と同じだわ…

父親の呪いの顕現の仕方がえぐくて。

オーロラのトキシックな彼氏、「妹たちの面倒を見ろ」と前作最悪の状況でいったのと同じ台詞の繰り返し、アンカサが子供の時にやった“仕向けられた過ち”の再現。

家父長制のプロ… 二重の呪いの下にあるオーロラ、よくあの状況で自分の足で立つことを諦めなかったな。すごいよ。父親と、父親の呪いの憑代になるアンカサ…支配の螺旋構造を書くのがうまいインドネシア……

ハニーとキット、他者だからこそオーロラに「ここが家」だと言わせることができた2人が本当に良かった…キット、さすがに信じるなよってとこまで信じてしまうけど。他者との境界線がきちんとあるから相手のことを自分のことのように喜べるし哀しめる。すごいな。私にはできないことで、苦しいくらい眩しい。

”私”という主語を手に入れたオーロラはもう父親に呪われることはない。それを見せてくれて本当に良かった。辛かったけど…

そして一方、呪いに縛られて、父という大元のいない海外では憑代にすらなってしまっているアンカサ…妹を守れない兄は必要がない、生きてる意味がない。

アンカサはまだ父親に成り切ってはいないから、呪いは完成してはいないから、オーロラの選択を祝福できるし手を離すことができる。だけどそれはアンカサから存在意義を奪うことなんだよ…アイデンティティを失って、父親の元に帰って、どうするんだろう。三部でそこが主題になるんだけど怖いよ…

しかし追い詰められ間違え苦しみ泣くリオデワントの可哀想可愛いを撮らせたら天下一品ですね。体育座り…